omakase-array

お野菜王国からの刺客

2026-07-24

私の人生を一言で言えば、それは正に滑車です。

私は東京で滑車を回す仕事に就いております。

いわゆる奴隷が回しているやつと言われて皆さんが想像するそれです。気付けばこの仕事に就いてから 30 余年となりますが、未だにあれを滑車と呼ぶことが正しいのかは分かりません笑

就労当初はこの滑車が何に繋がっているのか、我々は何を回しているのか、この人類史の最先端である現代に人力でこれを回す意味とは何かと悩む日々でした。

机を並べた友人達が華々しい職種に就き、やれ大きなプロジェクトをこなした、やれ役員職に昇進したという話を聞くたびに、昇進やプロジェクトなんかの概念が無い私は人生から、いや世界から一人取り残されているような考えが止まりませんでした。

それでも生きていかねばならぬので、他に脳もない私は 1 年、2 年と回し続け、そして今に至るというわけです。

こんな仕事ですが、続けているとコツやら業務の中に隠れる面白みやらを見つけることもあります。

この姿勢で回すと脚の負担が軽くなるぞ、この手の角度は力が伝わりやすいぞ、今度はテーピングを巻いて出勤してみようかなど、この単調な業務の中でも、ささやかな発見というものは意外とあるものです。

朝一番、まだ誰も回していない滑車の軋む音が存外に心地よいこと。昼を過ぎた頃に、頭を空にして回せる無心の時間が訪れること。夕方、回し終えた掌に残る鈍い熱を眺めていると、今日も何かをやり切ったような、暖かい達成感がじんわり湧いてくること。

隣の区画にも、私と同じように黙々と滑車を回す者たちがおります。彼らもまた、自分の回すそれが何に繋がっているのかは知らない様子でした。

たまに目が合うと、どちらからともなく小さく頷き合う。ただそれだけのことなのに、なぜだか少し脚が軽くなるのだから、人間というのは安いものです笑

いつの頃からか、私はこの滑車を回し続けることに心地よさを覚えるようになりました。

グルグルと滑車を回し続けるうちに、初めは手が、次に腕が、頭が、そして最後には脚が少しずつ巻き上げられていくような、自分という輪郭がゆっくりとほどけ、滑車の円周にじわじわと巻き取られていくような、そんな感覚が、いつからか片時も離れなくなりました。

そうしてある日、ふと思ったのです。もしかするとこの滑車は、巻き上げられる私のように、何かを少しずつ巻き上げているのではないかと。

それが何かは分からないものの、私はこの単調な仕事にも、どこかで人々の、ひいては社会に意味ある貢献ができているように思えて、それからは以前より少しだけ胸を張って滑車を回せるようになりました。

この仕事は側から見れば単調で退屈なものかもしれません。

しかし、ただ一つ確かなのは、私がこれまでこれを回し続けたということ。そして回し続けた 30 余年が、良くも悪くもそのまま私の人生だったということです。